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番外編「おい! どこでセックスしとんねん! アホンダラァア!!」


27歳、童貞、無職、全財産0円。笑いに狂った青年が、世界と正面衝突!〝伝説のハガキ職人〟による、心臓をぶっ叩く青春私小説『笑いのカイブツ』の番外編をお届けします。


とても醜くて、
本当にぶざまで、
汚くて、愚かで、あまりにもダサい。

こんな作品はきっと、誰からも愛されないと思っていた。

『笑いのカイブツ』が生まれる少し前。

僕には、すがりつくものが、
お笑いと彼女〈アナタ〉しかなかった。

その二つを失ったら、死のうと思っていた。

最初に、
彼女が去って、
その後すぐに、お笑いをやめた。
そこから、僕は、死んだように生きていた。

それが今から、一年半くらい前。
僕は、やってしまったと、思った。

「あそこやったんや。
オレが死んどくべきやった地点は、あの夜やったんや」

僕は、自分が死ぬべき最高のタイミングを、逃してしまったことを、後悔していた。

その地点は、僕が彼女と別れる少し前のある夜だった。

「どうしたん?」

彼女が、僕のことを見て言った。

「むっちゃ悲しそうな顔してる」

僕は彼女の隣に、ぶっ倒れて言った。

「このまま寝てる間に死にたいわ」

どんなに、どん底で、堕落していても、ずっと愛されていた。
それはまるで、人間丸ごとを、全肯定されたような感覚だった。

「このまま、愛されとる状態のまま、死にたいねん。
27年間生きてきたけど、オレなんかを好きになってくれたん、キミだけやねん」

仕事はほとんど無く、必死ですがりついていたこの愛情さえ、いつか、失うような気がしていた。

だから、このまま、寝ている間に、僕を死なせてくれ。頼む。
そんなことを思いながら、目を閉じた。

すると、彼女は、
「死なさへん。すぐ病院連れて行って、生き返らす」と言った。

あの地点だった。
あの夜に、僕は、死んでおくべきだった。

それ以来、僕は、こう思って生きるようになった。

どうせ、あそこで、死んでいたはずの人間だ。
僕なんて、どうせ、あの夜、死んでいたはずの人間なんだ。

そこから先は、死んでいるように、生きていた。
死んでおくべき、最高のタイミングを、逃したから、仕方なく、生きているだけだった。

アニメの脚本のバイトをして食い繋いでいた。
何本ものシナリオを速攻で書き上げては、監督に送る。
そこからは、自由な時間だったから、感情をひたすらノートに書き殴り、
疲れたら、布団にぶっ倒れて眠った。

のちに、そのノートが、『笑いのカイブツ』の最初の章になった。

こんな作品を、世の中に出したら、
すべてが終わるような気がした。

望む所だった。

僕は、僕を、終わらせたかった。

こんな作品はきっと、誰からも愛されないと思っていた。

その日から、一年が経った。

僕は、真夜中の渋谷の街を歩いていた。

朝から夜中まで、会議室に缶詰めにされて、ゲラの校正作業をやっていた。
この調子で、もう三日間も、缶詰めにされている。

宿泊先のネットカフェへ向かう時、眼球がコーラで洗った後みたいに、しみた。
ブースにぶっ倒れて、眠ろうとしていると、隣から、カップルがやっているらしき声が聞こえた。
声を殺しているつもりだろうが、押し殺した息づかいが漏れている。

今の僕と、こいつら。
幸せなのは、一体、どっちだ?

あの地点から、一年以上も経った。

売れるか、売れないか?
有名になるか、無名のまま終わるか?
生き残るか、消えていくか?

前者になれば、幸せになれると思っていた。
でもそう思っていたのは、もうずっと前の話。
だって、この人生の中で、幸福量が一番大きかったあの地点は、完全に消えていた頃だった。

だから、別に、生き残ろうが、消えようが、
自分の幸福には、なんにも影響しないことを知った。

別に天才でもなければ、異常でもなく、
創作活動ができない状況下に置かれても、
愛してくれる恋人が居たら、それだけで幸せっていう、
なんの変哲も無い、ただの人間だった。

この世界で、たった一人だけ。
愛してくれた女の子に、愛されているまま、死にたかった。

何が起きても、あの地点の幸福量を、いまだに、上回ることは無かった。
あそこで死んでおくべきだった。

何度もそんなことを思いながら、それでも、生きる方を選択してきた。

どんなに、ぶざまで、やりきれない状況になっても、
どうせ、あそこで、死んでいたはずの人間だ。

その言葉だけで、すべてが片付いた。

ここは、あの日、死んだはずの人間の、
死んだ後の人生だ。

だから、
もう今さら、
てめえらなんかに、どう思われても、
なんとも思わねえよ。クソが。

隣から、まだ、やらしい息づかいが聞こえ続けている。

喉の奥から、ネットカフェの天井に向けて、突き刺した、どす黒い感情。

「おい! どこでセックスしとんねん! アホンダラァア!! 
疲れとんのじゃ! 寝かせろ! ボケェーーー!!!」

空気が止まる。静まり返るネットカフェ。
僕は目を閉じる。

明日も、一日中、会議室に缶詰めにされる。
別にこのまま、寝てる間に死んだって、なんにも悲しくねえわ。
そう思いながら、眠りにつく。

こんな作品はきっと、誰からも愛されない。
だけど、それは、手を抜く言い訳にはならない。

毎回の原稿が、人生のラストチャンスだった。
打ち切られたら、またあの頃に逆戻りだ。

死んだように生きていたあの頃の自分に、戻るくらいなら、死んだほうがマシだ。

見えない暗闇に向かって、言葉を放ち続ける。
そこに誰かが、必ずいると信じて。

だけど、本当にこんな人間が書く文章を、読んでいる人なんて、いるんだろうか?

「こんなに、過去のアーカイブを読み返されている連載はないんですよ」と、編集者さんは言った。

何度も読み返してくれる人達がいたから、まったく更新しなかった月でさえ、僕の元には、原稿料が入ってきた。

あの頃、死んでおけば良かったって感情を、吹き飛ばしてくれたのは、
読者からメールで送られてくる「救われた」って言葉で、
その言葉で救われているのは、いつもこっちの方だった。

その言葉が本当だったら、僕と読者は、互いを救いあって生きていたことになる。

誰かとそんな風にして、繋がれることなんか、そうそう無いことだと思うから、そんな風にして生きていた、あの連載期間が、何より財産だったと今では思っている。

こんなに、誰からも愛されないと思った作品を、受け止めてくれる人達がいて、その人達がくれるメールには、必ず、この言葉が、添えてあった。

「絶対に書籍化して下さい」

文藝春秋の編集者さんに、お会いした時に、
「死なれたら困るから、お金に困ったら、なんとかするのでいつでも言って下さい」って、言われた。

出版社が文藝春秋に決まる前、
この作品には、7つの出版社から、書籍化オファーがあったと言われた。
漫画化のオファーもあったらしい。
とりわけ、文藝春秋の編集者さんは、何度も電話をかけてきてくれたそうだ。

いつの間にか、「こんな作品はきっと、誰からも愛されない」なんて、言えない状況になっていた。

この作品は、ちゃんと、愛されていた。
下手したら、そこらへんの小説よりも、幸福な作品なのかもしれない。

誰からも愛されないと思っていた作品が、こんなことになるなんて、夢みたいだった。

もしかしたら、僕は、あの地点で死んでいて、
これは全部、あそこで死んだ僕が見ている夢の中かも知れない。

四日間の缶詰め生活が終わり、
帰りの大阪行きの最終新幹線に乗り込んだ。

座席の上で、目を閉じて、そのまま、眠りにつく。

夢の中で僕は、一年半前に戻っていた。
あそこで死んでおけば良かったと、何度も思った、その地点の中に、僕はいた。

隣で寝ている彼女を起こす。これまでのことを話すために。

「めっちゃ変な夢見てん」

僕は、目覚めたばかりの彼女に言った。

「どんな夢?」

「アホみたいな未来の夢やねん。
この後しばらくしたらな、オレ達、別れんねん。
ほんで、オレ、お笑いやめて、私小説書くねん。
それをブログに載せたら、連載決まってな、その連載に、7社から書籍化オファー来たりな、漫画化が決まったりしてん。ありえへんやろ?
でもな、なんでか知らんけど、そんなに作品が認められとんのに、あんまし、オレ、幸せって思わんかってん。心が死んどるみたいやったわ。
ほんで、ずっとアホみたいに、この光景ばっか、思い出すねん。
今のこの光景ばっかり。
むっちゃ、ダサいやろ?
いつまで、引きずっとんねんって話やわ」

「そんなに引きずってんねやったら、電話とかしたらええやん」

「いや、それはもう、無理やねん。
別れてからも、オレ、
普段は我慢しとるけど、
酔っ払うたびに、めっちゃさみしなって、
夜中に何回も電話してもうて、
そん時にはもう、着信拒否されとんねん。
オレ、クソみたいな人間やろ?
殺してくれって思ったわ」

それを聞いて、彼女は、笑った。

「オレのことなんか、もう誰も愛してくれへんけどな、
作品はちゃんと愛されとる。
めっちゃありがたい話やで。
そん時のオレを救ってくれとんのはな、その事実だけやねん。
その事実だけが、誇りやってん。
せやから、この作品を、今まで愛してくれた人達に、本にして届けられたらな、オレ別に、そこで消えても、悔いは無いって思ったわ」

そこで目が覚めた。
僕は、新幹線の中に居た。
これは夢なんかじゃなかった。
現実は、こっちだった。

僕は、その時点で、4日間も下着を変えていなかった。

出版社で打ち合わせをして、すぐに帰るはずが、
突然、缶詰めになることになったから、僕は着替えを東京に持って来ていなかった。

「パンツなんて、コンビニとかで買えるんで、買って下さいね」

何度も編集者さんに念を押されたけれど、お金がもったいないし、
どっちみち、僕は終わっている人間だから、
パンツを変えようが、変えまいが、そんなことは、もうどうでもいいと思っていた。

相変わらず僕は、もう死んだはずの人間の、人生の続きを生きている。

銀河鉄道が、もう死んでいたはずのカムパネルラを乗せて走っていたみたいに、新幹線は、もう死んでいたはずの僕を乗せて走っていた。

そのまま、新幹線は、
銀河鉄道のように、線路から浮かび上がり、
たくさんの星がへばりついた、夜空に向かって、走り出した。



『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキ
2月16日発売 1350円(文藝春秋)

1章 ケータイ大喜利レジェンドになるか死ぬか
2章 砂嵐のハガキ職人
3章 原子爆弾の恋
4章 燃え盛る屍
5章 堕落者落語
6章 死にたい夜を越えていく

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