番外編2「18歳の時、肉体労働をしてたら、先輩が落下してきた。」
27歳、童貞、無職、全財産0円。笑いに狂った青年が、世界と正面衝突!〝伝説のハガキ職人〟による、心臓をぶっ叩く青春私小説『笑いのカイブツ』の番外編その2をお届けします。
パーーーーーン。
今の音は何の音だ?
巨大なシャボン玉が割れる音。
耳の鼓膜が破れる音。
眼球が破裂する音。
それは人間が、地面とぶつかった時の衝突音だった。
後ろを振り返る。
地べたにうずくまる男が、
カフカの『変身』の巨大な虫みたいに見えた。
18歳の時、肉体労働をしてたら、上で作業してた先輩が、落下してきた。
上を見上げると、真夏の直射日光が、眼球をしびれさせた。
ビルでいうと3階くらいの高さに、足場が組んである。
朝は自分が作業していた持ち場。
落下していたのは、自分だったのかもしれないと思うと、足が震えた。
「ツチヤ、おまえ、アイツの分も働いてくれ」
僕はその日、夕方までのシフトだったが、
病院に運ばれていった先輩の代わりに、
夜まで働くことになった。
帰る時に、足に包帯を巻いた先輩が、バイトの休憩室に現れた。
3階から落下したのに、奇跡的に大事に至らずに、済んだらしい。
金髪で強面なその先輩に、へたに話しかけたらしばかれると思って、
僕はそれまで避けていた。
その先輩から僕に話かけてきた。
「悪かったな。俺のせいで……。こんな、時間まで」
そんな姿で謝られたら、こっちが悪いことした気分になる。
「いえ、全然」と、僕は緊張しながら答えた。
「今度、飯おごらせてくれや」
先輩の怪我が落ち着いた頃、二人で居酒屋に行くことになった。
「おまえ、いっつも仕事中に、ブルーハーツ、口ずさんどるけど、そんな好きなんか?」
先輩が上から落下してきたり、バイト仲間が次々と熱中症になって、病院に運ばれていく。
そんな日常が、あまりにも、キツすぎて、僕はずっと、ブルーハーツを歌い、現実逃避しながら仕事をしていた。
そのことを、先輩に話すと、「変な逃避の仕方やな」と笑われた。
「でも、わかるわ。俺も仕事中はずっと、女の子のことばっか、考えとる」
誰もが、何かにすがって、あの辛さに耐えていることを、
僕はその時、初めて知った。
僕がブルーハーツで、先輩は女の子。
あの辛さの耐え方は、人の数だけ存在する。
「ブルーハーツ、俺も好きやで」
その時に僕は思った。
「この世に、ブルーハーツが嫌いな人なんて、おるんやろうか?」
それを、実際に、口に出して言った。
「女はあんまり響かんみたいやで」
「そうなんですか?」
「せやで。俺、今までいろんな女に、無理矢理、聞かしたけど、迷惑そうにしとったわ」
『無理矢理』と聞いた瞬間に、
先輩が、嫌がる女性の耳に、ヘッドホンを強引に押し当てて、
ブルーハーツを聞かせている映像が浮かんだ。
僕は笑った。
「何を笑っとんねん」と、先輩が僕を見て言った。
「まあええわ。俺、バンドやってんねん」
その先輩は、いつもギターを弾いていた。
休憩室から聞こえてくる、ギターの音で、
先輩が出勤してるかどうかが、わかったくらいだ。
「いつか、有名になったるから、見といてや」
「はい」
「おまえは、将来、何になりたいん?」
当時から、大喜利ばかりやっていた僕は、
その質問をされた瞬間、即座に、頭の中にボケが浮かんだ。
これをそのまま言ったら、どうなるんだろう?
僕の考えてるボケは、果たしておもしろいんだろうか?
それを確かめてみたかった。
頭の中から、戦車のガトリング部分が持ち上がり、
先輩に向けて照準を合わせる。
お題〈おまえは、将来、何になりたいん?〉
「絶滅の危機に瀕している動物とか、いっぱいおるじゃないですか?」
「おう」
よし、ネタ振りは、完了した。
あとは、ボケを発射するだけ。
「それを、積極的に、殺していきたいですね」
少し間があってから、先輩は笑った。
よし、仕留めた。
「〝積極的に〟っていうのが、オモロいな」
さあ、ここから、畳み掛けだ。
どの絶滅危惧種を、どのように殺すか、それを考えはじめたのだけど、
次に先輩からされた質問に、僕の思考は凍りついた。
「おまえ、高校卒業したん、3月やろ?
このバイトに入ってきたん6月やん?
それまでの間、何をやってたん?」
僕は、焦った。
そんなことを、聞かれるとは思わなかった。
「……いや」
「えっ?」
「何もしてなかったです」と、はぐらかした。
僕が、その期間、
何をやっていたのか、知られたら、
恥ずかしすぎて、死ぬ。
「そろそろ行こか」
駅まで一緒に帰り、先輩が乗る電車がやってきた。
「ほんなら、また、飯行こや」
「はい」
「明日もバイトがんばろな」
先輩は女の子。
僕はブルーハーツで、明日も、あの地獄を乗り切る。
まだ、何者にもなれていない二人。
だけど、何かになりたいと、その頃の僕らは、必死で、もがいていた。
電車に乗り込む先輩を見送る。
先輩は去り際、こちらを一瞥した後、突然、大声で、歌い出した。
「きぃーがぁーくぅーるぃそぉーー、
やぁーさぁしぃーうたがすーーきぃーでー、
あああああーあー、
あなたにもぉおーー聞かせたいーー」
ブルーハーツの『人にやさしく』を大声で歌いながら、
先輩はやって来た電車に飛び乗った。
中にいた乗客達の唖然とする表情を、大量に残したまま、
電車は走り去っていった。
僕だけが爆笑していた。
それは、仕事中の僕のモノマネだった。
その歌の歌詞のように、毎日、気が狂いそうだった。
帰り道、先輩が最後にした、あの質問を思い出した。
「おまえ、高校卒業したん、3月やろ?
このバイトに入ってきたん6月やん?
それまでの間、何をやってたん?」
先輩と別れた帰り道、先輩が最後にした、あの質問を思い出した。
高校を卒業してからの3ヶ月の間は、
僕の人生で、最大の黒歴史だった。
その過去を、
人に知られたら、
恥ずかしすぎて死ぬ。
肉体労働を始める前の空白の3ヶ月。
僕は、カート・コバーンと、まったく同じ髪型にして、
カート・コバーンとまったく同じファッションをして、
特に目的もなく、アメリカ村を、ただ毎日うろついていた。
僕は伝説のロックスターに憧れていた。
カート・コバーンのような伝説になりたかった。
外見を真似すれば、その伝説に、少しでも近づけるような気がしていた。
伝説になるのは、そんな簡単なことではなかった。
彼のように、27歳で、自殺する。
それだけを心に決めていた人生だった。
狂った人間のフリをしている、どうしようもない、ただの凡人だった。
映画を撮るならどんな映画を作るか?と、頭の中で想像していた映画は、ハーモニー・コリンの『ガンモ』で、既にやられていた。
高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』や、『ジョンレノン対火星人』に、もろに影響された後、『アナルセックス宇宙』という小説を書いて、群像新人文学賞に送るも、一次選考にすら残らなかった。
家でギターを毎日、10時間引き続けたけど、一向に上達せず、
ただ、指の皮がめくれただけで終わった。
最終的に、ぶちギレて、ギターをベランダから投げ捨ててぶっ壊した。
ただただ、自分が凡人だということが、証明された3ヶ月間だった。
何かになりたかったけど、何者にもなれなかった。
ずっと、自分の可能性を探し続けていた。
何をすればいいかを、探し続けていた。
頭の中で浮かんだボケを、アメリカ村で、大声でわめいた。
警察に職質されて終わった。
27歳で自殺した、カート・コバーンの遺書の最後には、こう書かれていた。
「だんだん消えていくくらいなら、一気に燃えつきた方がマシだ」
僕も必ず、そんな風に生きて、
27歳で死ななければならない。
27歳まで、残り9年か。
「僕が、27歳になった時、
死ぬ間際に書く遺書には、どんなことを書くんだろう?」
必ず、カート・コバーンを超えるような遺書を、書いてやる。
18歳の僕は、そんなことを思いながら、帰路に着いた。
その連載が始まったのは、27歳の時だった。
それは、10万文字にもおよぶ、僕の遺書だった。
打ち切られないように死に物狂いで書き続けた。
そして、連載が終わる頃、僕は、なる予定がなかった、28歳になっていた。
その時、
「アレ? 27歳で死ぬはずじゃなかったのか?」と思ったのだけれど、
僕は死ぬのが怖くないんじゃなくて、
生きるのが怖いだけだったことに遺書を書きながら気づいた。
その頃にはもう、
どんなにダサくなっても、
どんなに、みじめで、ぶさまで、みっともなくても、
生きることにしがみつくことの方が、
そんな生き様の方が、
人の心を揺らすことができる、
そう思うようになっていた。
『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキ
2月16日発売 1350円(文藝春秋)
1章 ケータイ大喜利レジェンドになるか死ぬか
2章 砂嵐のハガキ職人
3章 原子爆弾の恋
4章 燃え盛る屍
5章 堕落者落語
6章 死にたい夜を越えていく
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